鏡の前で、誰の声を聞いていますか?自己肯定感を守るためにできること

鏡の前で、誰の声を聞いていますか?自己肯定感を守るためにできること マインド

娘がアメリカで小学校2年生になりました。

最近、男の子に見た目のことでいじわるを言われることが増えてきたようです。

先日は、男の子に「fat!」と言われたと、がっかりして帰ってきました。

こんなに痩せてスラっとしているのに、親の私から見ても、は?どこが?と思うくらいです。ほんと失礼しちゃうわ!!

娘小2

その前は、別の子に腕毛が濃いことを指摘されて、家に帰ってくるなり「ママ、毛剃りたい」と言ってきました。
まだ日本では小1の歳なのに、そんなことを気にしなくていいのに。

肌の色が濃いことをバカにされたこともありました。
白人の子に「You’re brown, I’m white!」と言われたそうです。

こう聞くと人種差別のようにも思えますが、日本でも無礼な男子に色黒のことや体毛のことで言われることはよくあるものなので、特段心配はしていません。

ただ、もしそれが知っているママの子だったら、報告するようにしています。そこはきちんと線を引きたいと思っています。

それでも、娘がそういうことで傷ついている姿を見るのは、やはり心苦しいものです。

こうやって、私たち女性の自己肯定感は少しずつ削られていくのかもしれません。

守ってあげたい。でも、すべてを守ることはできません。

だから私は、娘にこう伝えています。

「太っているとか、毛が濃いとか、肌が黒いとか、
そういうことを言ってくるのは、その子の問題。
だからといって、あなたがbeautifulじゃないってことにはならない。
そういう思いやりのない人に言われた通りに、自分を変える必要なんてないよ」と。

見た目について言われたことで傷つくのは、私たち大人も同じ

でも、ふと考えました。

私たち大人はどうでしょうか。

昔言われたことを、いまだに気にしていないでしょうか?

ニキビが気持ち悪いと言われたこと。
足が太いと言われたこと。
ブサイクと言われたこと。

あの頃の言葉が、今も心のどこかに残っていて、鏡を見るたびに思い出してしまっているかもしれません。

いじわるな男子や、無礼な人たちが、私の中に住みついているような感覚です。

勝手に住みついて、勝手にコメントしてくるのです。

言われたこと=真実ではない

でも、言われたこと=真実ではありません。

信じるかどうかは、自分で決めることができます。

私はそれが分かったのは、大人になってからでした。

だから、脳内に住みついているその声には、ビンタしてやりましょう。
「うるさい!」と。

私たちの価値は、人の好みや基準では決まりません。

自分で決めるのです。

見た目がいじわるな人や無礼な人の好みじゃないからといって、あなたの価値が下がるのでしょうか。

価値が下がると信じてしまっているのは、自分自身ではないでしょうか。

そこは、否定していいのです。

いじわるな声を信じないことが、自分を大切にするということ

あなたの体は、誰がなんと言おうと価値があります。

だって、お母さんの体内で形作られて、この世に生まれてきたからです。

進撃の巨人のセリフにもありますが、「生まれてきたことに意味がある」という言葉には、いつも心を揺さぶられます。(この部分の動画、よかったらご覧ください → こちら

進撃1 進撃2

自分が否定してあげないと、誰もかばってくれません。

人の価値観をそのまま自分の価値観にするかどうかは、自分で決めることができます。

だから、信じないでください。

それが、自分を大切にするということなのです。

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